2014年3月28日金曜日

映画:ザ・ロイヤル・テネンバウムズ

Huluで観賞。
ウェス・アンダーソン監督作品。

Huluの無料お試し期間が終わり、課金がはじまっているので、何か見なきゃもったいなかったので見ました。(最低な態度)

~激短!あらすじ家族~
「放蕩親父」ロイヤルが、おちぶれたテネンバウム家の再生を企てるが…。

なんかオシャレでした。

ウェス・アンダーソンの絡んだ映画は、いままで彼が制作に携わった『イカとクジラ』(ノア・バームバック監督)くらいしか見たことがありませんでした。『イカとクジラ』は「崩壊寸前の家族や夫婦」を描いているという点ではこの『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』とある種共通したテーマを持つ作品で、個人的にはかなり好きな作品です。オススメ。

で『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』。父ロイヤルは奔放な性格で家族とともに過ごす時間がほとんどない。天才劇作家、天才ビジネスマン、天才テニスプレーヤーとして若くして成功した3人の子供たちも今や落ちぶれてしまっていて、さえない日々。母には別の男性とのロマンスが。そんな感じで一家は離散状態になってしまっている、ってことになってるのですが、その親父の放蕩っぷりや、子供3人の落ちぶれっぷりがそんなに「酷すぎない」というかポップでオシャレに描かれているもんだから、あんまりリアルに感じられなかったです。

一家がバラバラになっているのも子供たちがそれぞれ好きなことをやっていった結果みたいにしか思えなかった。それを「再生」すると言われましてもみたいな。

音楽の使い方は素晴らしくて、絵作りも計算されている感じがして、アーティスティックだねスタイリッシュだねという感じだったのですが、どうにもお話にエモーションが足りなくて、のめり込めませんでした。すみません。どうしよう結果的にほめてない!

公開当時(2002年だそうです)結構話題になってたし評価も高かった気がするんだけどなあー。

養女(とされている?←ここ、なんかグレーじゃなかったです?)マーゴ(グィネス・パルトロウ)と二男リッチー(ルーク・ウィルソン←オーウェン・ウィルソンの弟)のエピソードは良かったと思いました。

ひとつ言えるとするなら「才能みたいな“元から備わったもの”で物事をうまく回していけるのはある時期まで」みたいなことは感じました。だから努力が必要だし、変化を受け入れ、折り合いをつけ、前に進んでいくことが大切なんですね。何事も。

うーんなんというか…、僕、こっちより『イカとクジラ』の方が好きです。比べるもんでもないと思うんですが。『イカとクジラ』の方が「寂しさ」や「妬み」などといったどうにもやっかいな心の問題を、抑制のきいた演出で鋭く描きだしていて、痛くて切なくて面白いです。

『イカとクジラ』おすすめです!

では!(なんだこれ)



2014年3月13日木曜日

ブラックオアホワイト

 何か世間を騒がすようなニュースが報じられると、「~は悪い」とか「~は悪くない」とか、「“どちらか片方”についた意見」が飛び交うじゃん。(のっけからタメ口)  
 善か悪か真か偽か白か黒か糾弾か擁護か…って、ほんとに二択しかないんでしょうか。物事ってそんなに単純なのでしょうか。といつも思ってしまう。  
 二元論って、物事を「わかりやすく」するための例え話のようなものでしかないと思っていまして(「世界を二分したら俺は圧倒的にディカプリオ似」とか)。それを日々直面する全ての事象に適用してしまうのはすごく味気ないし危険なことかもしれないなあと思ったりもしていまして。ていうか、無理。全部に適用するのは無理じゃんそもそも(気を許してついタメ口)。だって、いざ自分自身のことになればみんなそんなに割り切って話できないと思うんだけれども。自分にしか分からない自分の心の襞みたいなものがあるわけで。なのになぜか自分以外の第三者や身の回り「以外」の出来事に言及する時に善悪二元論みたいなものが首をもたげてくるっていう。
 その「二項」の間に「考え中」とか「迷い中」があってもいいじゃないって思う。ていうか、あるべき。いや、もちろんあることはあるのだが、そういう曖昧なものは「わかりやすくない」ので表層に出にくい(議論として弱い)のであり、出たら出たで「曖昧なもの」として「糾弾」の憂き目にあったり「なきものにされたり」するという仕組みなのでR。
  わかりやすくて、「いいね!」なのはいつも、残念ながら「白か黒か」の論理だったりしてそれがなんかやるせない。  
 
 やるせません。YARUSEMASEN。  

 余談だが、いま「やるせません」と書いていて「笑ゥせぇるすまん」に空目した。
 商売でも表現活動でも、よく「売りを一言で言うと?」とか、「もっとわかりやすく」とか言われるじゃん(無意識にタメ口)。そういうとき、なんだかはらわたがちぢこまる気分になる。怒りとは違うのだが、なんだかはらわたがちぢこまる気分。もっというとなんか得体のしれない暴力的なものに直面してしまったような気分。「仕事と私、どっちが大事なの!?」と問われた時のような。問われたことないけど。そんな気分になっている時点で私は「(何かに)失格」なのだろう。

 Count me out.
 
 ほなね。

 参考文献

2014年2月24日月曜日

(the)beds 『washing life one』

(the)bedsの新しいアルバム『washing life one』のレコ発ライブに行ってきました。

会場は池袋adm。ひさびさに行きましたが、表からは「スタ丼」の店にしか見えなかった(以前はHip Hop洋品店だったような記憶)。なんかこういう店舗構造、「アジアやな~」って感じ。イケブクロのこういう怪しげなところが大好物です。

入ると関谷謙太郎氏のライブ中。実はUNDER THE COUNTERの時にシブヤネで一回だけタイバンさせてもらったことがあります。今回がUTC解散以来初のライブとのこと。相変わらず力強い歌声で、かっこよかった。

二番手は我らが兄貴ノリさん率いるtape me wonder。新曲を多数投入してくるチャレンジングなステージ。特にできたてホヤホヤという新曲「バンドワゴン」から90sオルタナ魂をビンビンに感じました。気合いが入っていたなー。ノリさんはどんなライブでも絶対に「置きに行かない」。音楽を楽しみながら常に「勝負」を挑むスタイルがかっこいいと思う。

そして(the)beds。アルバムに収録された新曲を中心に構成されたライブでした。驚いたのはブービーの歌の表現力が激増していたこと。これは良いボーカル!リズム隊もタイトで心地いい。メロディの良さはもちろん展開やアレンジのひねくれっぷりも悔しいぐらいツボを押してきやがる。あ、サポートギターのハタキチ氏(from 宇宙遊泳)もビシバシと「ずるいフレーズ」をキメててずるかった。




すごくいいライブだった。

その音楽性と人柄から、先輩後輩問わず、バンドマン界隈から常に愛され続けている(the)beds。メジャーで「ガツガツ」行くタイプのバンドではないかもしれないけど、いい意味で「インディーズバンドとしての自由」を謳歌しながら、素晴らしくひねくれた音楽を紡いでいます。

聞けばもう結成10年目なんですね。何気にベテランじゃん。

これからも「自由」を感じさせる曲をたくさん作り続けてほしいです。

おめでとう(the)beds!

2014年2月18日火曜日

人:Jim Breuer

 YouTube漂流してて行き当たったメタリカの「MTV ICON」セレモニーで、とあるコメディアンがジェイムズ・ヘットフィールドのモノマネ(ジェイムズが「絶対言わなそうなこと」を物まねで言う←日本でもホリさんのネタにこういうのあったな)をしていた。それがとても上手で面白かったので、気になっていろいろYouTubeで検索しているうちにハマった。
 彼の名はJim Breuer。日本では全然聞かない名前なので、何とお読みすればよいのか。たぶん「ジム・ブリュアー」さんとか「ジム・ブルーアー」さんとかだと思う。
 さっそくアメリカ人の友人に聞いてみたところ、この方、90年代に「サタデーナイトライブ」で有名になり、その後何本か映画に出ていたとのこと。
 さらなる独自調査によると、98年に同じくコメディアンのデイブ・シャペル(ミシェル・ゴンドリー監督『ブロック・パーティー』でおなじみ)と『Half Baked』というマリファナ万歳映画に出ていたようです。そんな映画知らないぞー。日本未公開ですよね当然。
 とまあ、その経歴からも分かるように以前はかなり過激なネタで人気を得ていたみたいなんだが、最近はメタルや自分の家族をネタにしたギャグでお茶の間ウケしはじめているみたい。
 とにかく、「メタルモノマネ」のクオリティが高い。「もしもメタリカが『ビンゴの歌』を歌ったら・・・」、「もしもオジーが『ロンドン橋』を歌ったら・・・」みたいな「メタルもしもシリーズ」が十八番みたいなんだけど、その「細かすぎて伝わらない感」がとても面白い。たとえメタルを知らなくても、なんだかよくわからないハイテンションに思わず笑ってしまうことうけあい。
 あと、「自分の家族モノマネ」が最高。究極の身内ネタだけど、これがなぜか笑える。妻のモノマネとか、「あ~、こういう“妻”いそー!」って感じで。
 ひさびさに気になる人が現れちゃいました。日本でも有名にならないかな。無理か。


ご本人(メタリカさんご一行)を目の前にモノマネパフォーマンス。強心臓。もしもジェイムズが「幸せなら手をたたこう」(If you're happy and you know it)を歌ったら・・・。最後にジェイムズ本人が「俺ってあんなか?・・・まあ、そうだよな」(意訳)と言ってます。


メタルで子供の歌を歌うシリーズ。AC/DC最高!



二日酔いのJimさんを子が襲撃。途中で「妻のモノマネ」が出てくる。



空港の近くに住むと・・・。爆音の声帯模写がすごい。お母さんのモノマネあり。

 

2014年1月27日月曜日

映画:Sign Of The Times

吉祥寺バウスシアターで見てきました。前売り券でな!(特典バッジ付き)

<激短!あらすじジェネレーション>
プリンスの円熟期に行われた『Sign Of The Times』ツアーを映像作品化。

プリンスの最高傑作との呼び声も高い名盤『Sign Of The Times』(1987年作品。通算9枚目)。

前作『Parade』に伴うツアー終了後、バックバンドThe Revolutionを解散させたプリンスが、たった1人で作り上げたとされるアルバムです。ファンク、ロック、ポップ、ジャズ、ソウル、テクノ、ゴスペルなどさまざまジャンルのサウンドを飲みこみ、プリンス流にアウトプットした「極私的サウンドタペストリー」。どこかしらデモ音源ぽい質感が、送り手と聞き手の距離を縮める役割を果たしていて、この作品はしばしば「密室的」と評されたりもします。

この「送り手と聞き手の濃密な距離感」が、「ハマる人にはハマる」要因となっていて、僕も「プリンスの最高傑作は?」と聞かれたら迷わずこのアルバムを挙げます。

ここからは少し自分語りになりますが。

僕は中学生の時このアルバムをレンタルで借りてきて聞き、まさに雷に打たれたような衝撃を受けました。

音数を極力抑えたアレンジ、それでいて強烈なファンクネス、奇天烈なシンセ音、シャウトし、囁き、喘ぐ、変幻自在のボーカル…。中学生ですから、歌詞の意味なんかよく分からなかったのですが、「これ絶対エロいこと歌ってる!」みたいな雰囲気があったりするかと思えば、なにかとんでもなく崇高な瞬間みたいなものを(言葉ではなく)「音楽的に」感じ取ることができたりもして。表裏一体の「性」と「聖」の福音のような。なんだかこのアルバムを聞いていること自体、悪いことをしているような、背徳的な感覚。(プリンスの初期~中期のアルバムはほとんどそうですが)

…とにかくこのアルバムの凄さをいまだにうまく言語化できないんですが、言語化できないからこその良さって絶対あると思うんですよ!(開き直り)…とにかく聞いてみてください。

余談:中学時代、この興奮を共有したい!と、『Sign Of The Times』を録音したテープを親しい友達に貸したところ、「声が小さい」という感想とともに返してきたので、「分かってねえ!!!」と思いっきりディスったことがあるんですが、たしかにこのアルバム、「音圧」には乏しいです。(・・・そこがいいんじゃない!)

そんな(どんな)アルバム『Sign Of The Times』に伴うヨーロッパツアーと、プリンスの所有スタジオであるミネアポリスにある「ペイズリーパーク」で収録したライブ映像を中心に、曲間に寸劇などを挟んで編集して映像作品化したのがこの映画版『Sign Of The Times』です。日本初公開は89年ですが、今回リマスター処理を施され25年ぶりのリバイバル上映と相成ったわけです。祝。

また自分の話で恐縮ですが、高校生の時、一度だけ深夜にテレビ放映されたこの映画。初めて見たとき、アルバムを聞いて思い描いていた世界観が見事に映像化されていてびっくりした覚えがあります。この映画を見ることで、アルバムの『Sign Of The Times』の世界を補完できるというか、映画とアルバムのセットで『Sign Of The Times』だと思いますのでアルバム持っていて、映画を見ていない人がいたら今からでも見た方がいいですよ。必修。さて内容の方。

プリンス印のイミフな寸劇から、ディストーションギターが轟き1曲目「Sign Of The Times」。2曲目「Play In The Sunshine」でアッパーに客を盛り上げ、間に「Little Red Corvette」のひとくだりを挟んで超ド級ファンク「Housequake」!で序盤からエクスタシー!

この流れは過去にビデオで何度も何度も暇さえあれば見ていたので、歌詞、セリフ、コールアンドレスポンスなど完璧に頭に入っていましたが、今回初めて高画質、高音質、大音量、という環境での観賞がかない、今までとはまったく違ったフレッシュな感動を得ることができました。正直、私、この流れで落涙いたしました。は~あ~~感動~~。(細川たかし)
個人的に、この映画のクライマックスはこの冒頭4曲だといっても過言ではないんじゃないかと思ってます。

もちろん他にも見どころはたくさんあります。「I Could Never Take The Place Of Your Man」のクサいけど切ない男女のストーリー(音楽のライブで物語を紡ぐってすごいな)、「Hot Thing」でのキャット(ダンサー)との濃密なカラミ(必殺「スライディングスカート剥ぎ」!)、「Now's The Time」でのシーラ・Eの超絶ドラムソロ、プリンスの股割り(上半身が全くブレない。どんな体幹しとんだ!)、プリンスのギター、プリンスのドラム、プリンスのドヤ顔、プリンスのメガネ、プリンスのGジャン、プリンスの肩パット、プリンスの警察帽、などなど…数えればキリがありません。

『Sign Of The Times』は、1人のアーティストの絶頂の瞬間をとらえた最高の音楽映画と言って間違いないと思います。

でも、僕はこの『Sign Of The Times』というアルバムや映画を聞いたり見たりするといつも、興奮すると同時に少し寂しい気持ちにもなるのです。それはこの作品にどことなく「別れ」の雰囲気が漂っているからなのかもしれません。

このアルバムの後、プリンスは『Black Album』という「邪」や「俗」に振り切ったドス黒いファンクアルバムを作成、そのあまりの毒性に恐れをなし自らお蔵入りにしたのち、今度は「聖」に振り切った名作『Lovesexy』を発表します。プリンスの音楽的な才能という意味では『Lovesexy』とそれに伴うツアーで一旦ひと区切りがつきます(異論はたくさんあると思いますが)。

1990年前後、ニュージャックスウィングやヒップホップなどブラックミュージックのシーンにも新しい風が吹き始め、プリンスはそういったジャンルにも通じるようなよりポップでアップトゥデイトな方向に舵を切り、それと同時に初期~中期作品に必ず纏わりついていた「背徳感」が薄れていくようになるのです。

『Sign Of The Times』はそんな「初期衝動との別れ」を予兆するムードというか、「終わりの始まり」の切なさのようなものを湛えています。そしてそのことがこの映画とアルバムをより味わい深いものにしているように思うんですよね。(つってもプリンス、今も現役バリバリなんですが!)

「楽しい!」「凄い!」だけでは終わらない、多面的な魅力にあふれた不思議な作品です。
今回の仕様でのBlu-ray発売を熱望します!





2014年1月20日月曜日

映画:トゥモロー・ワールド

『ゼロ・グラビティ』のアルフォンソ・キュアロン監督の前作。
先日試しに登録してみたHuluで見ました。

<激短!あらすじディストピア>
2027年、謎の不妊現象で子供が誕生しなくなり、荒廃しっぱなしの世界。オレは突然レジスタンスから妊婦の護送を頼まれた!(なぜか軽薄な紹介文)

 「『ブレード・ランナー』とか『トータル・リコール』とか、フィリップ・K・ディック原作の有名どころの映画や小説をそれなりに楽しんだ」程度にしかSFになじみのない私。基本的に「近未来SF」ってのを好んで見るタイプではないのです。
 SFって一見現実離れしたそのストーリーに、人間の持つ普遍的な問題だったり、現代社会への批判だったりを読みこんで味わうところに楽しみがあるんだと思うんだけど(違うのかな?)、そういう現実的な問題は、物語で語られるよりルポやドキュメントで「今そこにある危機」として読んだり見たりしたいナー、など身も蓋もないことを思ってしまうのであって。まあ、もちろんそれも表現方法次第なんですけど・・・。そういう意味で『クロニクル』なんかは語り方が画期的だなーと思った次第。
 斯様に残念なSF弱者であるからして「奇跡的に妊娠した女性をめぐって敵と味方が入り乱れ・・・」という展開も「ふ~ん」てなもんで、ストーリーそれ自体にはさほど没入できなかった。だって、「そんな大事な人をなぜわざわざ危険にさらすようなことする!」とか思っちゃって。すみません無粋で。そもそも「子供が生まれなくなった世界で、自暴自棄になっている人類」っていう物語の設定から飲みこめなくて・・・。「自暴自棄はよくないよ!」とか「そんな世界ならなおさら、全人類全力で妊婦を守りなさいよ!」とか普通に思ったりして。や、「人間は愚かだから本当に大事なことを見失い、争いを繰り返してしまう・・・」っていうことを教えてくれてるんでしょうけどね・・・。

 知ってるよ!

 ・・・。しかしながら映像の方はさすが『ゼロ・グラビティ』で完全に観客(俺)をノックアウトしたキュアロン監督。この映画でも「どうやって撮ってんだこれ??」という長回しの連続。全編通しての緊張感は並々ならぬものがあった。
 途中、とても感動的なシーンがあるのだけど、「こっちの息が切れるのが早いか、カットが変わるのが早いか」って感じの長回し。監督が挑みかかってきているかのようだった。ここは素直にノックアウト(何回ノックアウトされてんだっていう)。

 「長回しは監督と観客の勝負だ」と思いましたね。

 長回しって観点だと最近の映画では『SR3』のクライマックスシーンなんかを思い出したけど、入江監督、この映画に影響受けてるのだろうか。

 これ、映画館で見られればよかったなあ。基本的に全ての映画についてそうなんだけども。

 クライヴ・オーウェンは少しデッカード(ハリソン・フォード)に似てると思った。


2014年1月17日金曜日

本:夜露死苦現代詩 (ちくま文庫)

 老人ホームの住人たちのうわごと、死刑囚の俳句、精神を患った人がノンストップで書き綴る言葉、暴走族の特攻服やヤンキーの学ランに刺しゅうされたポエム、NASやJAY-Zのリリック、はたまた相田みつをの書(!)などを取り上げ、そこに「詩情(ポエジー)」を見出していく、言ってみれば「物好き」な本。
 下手すると「変わったご趣味ですね」なんて言われそうな作業。しかし、「精神病院」だからって、「ヤンキー」だからって、「エロサイト」だからって、「相田みつを」だからって、関係ない。言葉に貴賎なしという著者の都築さんの態度に寛容さを感じる。都築さんはこの作業をハイカルチャーとしての詩(現代詩)に対してのアンチテーゼと位置づけているのだと思う。もっと下世話に。もっと馬鹿に。もっとエロく。もっと国道沿いに。(よくわからんけど)
 これらのことばたちのなんとリアルなこと。いや、無菌化された「リアル」なんて言葉より、「生生しい」と言った方が近いかもしれない。じっとり湿って、微生物が繁殖してそうな「生」の質感(「死」を目前にした老人たちや死刑囚の言葉ですら!←いや、「だからこそ」か)。
 巻末の谷川俊太郎氏との対談にもあったように、本来、この本で挙げられたことばたちを、所謂ジャンルとしての「現代詩」と比較・対象化すること自体が筋違いで、一種のアウトサイダーアートとして観賞すべきものなのかもしれない。そうなってくるともうあとは単純に「好き嫌い」になってしまうのだが、下世話で、生々しく、ばかばかしく思えるようなこれらの言葉たちが、少なくとも自分には「高尚(そう)な、なにか」よりも断然愛おしく思えた。
 いまの自分にはどうひっくりかえってもこんなことばは紡げそうにない。(あたりまえだ)